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2019年7月26日(金) 10:51 Clarens (lac) クラレンスの桟橋にレマン湖クルーズ船が到着しました。

船名は[GENERAL-GUISAN]とある。(→ 解説は本頁の末尾)

10:51 同時刻撮影 近づいて見ると、案外大きなクルーズ船でした

10:51 同時刻撮影 クラレンスの桟橋からの乗船客はわれわれ3人のみでした。

10:56 5分ほどでモントルーに戻ってきました。

10:57 日本人乗船客は・・・ どうやら三人のみでした。

10:57 同時刻撮影 モントルーの桟橋に到着です。

11:02 モントルーの桟橋を出航しました。

11:03 モントルーの街並みがあっという間に遠くなります。

11:04 船首を南に向けて・・・ 再びモントルーの街並みが近づきました。半島状の地勢です。

11:07 南側から北方向の撮影で、光が綺麗です。

11:07 同時刻撮影 桟橋に近い辺りでの撮影。オブジェもみえます。やや逆光気味

11:07 同時刻撮影 桟橋に着きました。東南方向の撮影

11:09 桟橋は[TERRITET]と読めます。

Clarens を出航し、Montreux に着き、Territet の桟橋へ。

11:09 同時刻撮影 [TERRITET]桟橋をでました。

今回の往路は湖岸沿いに、列車なら各駅停車のようにレマン湖東岸を南下していきます。

レマン湖畔を散策しクラレンスの桟橋へ :前へ ] レマン湖クルーズ 2 :次へ ]

乗船したクルーズ船の名は?!

偶然、急患診療所(2020/8/16)で眺める機会があり、[GENERAL-GUISAN]と知った。で、調べたら、何と!

Henri Guisan アンリ・ギザン(1874/10/21-1960/4/8)に由来していると知った。Guisan、スイスの軍人で、第二次世界大戦下の非常事態下において軍の最高司令官(将軍 General)となり、事実上のスイスの最高指導者となったとウィキペディアにあった。

自学資料として抜粋:[ギザンは万が一にドイツ軍あるいは連合国軍がスイスに侵攻してきた場合には、山間部を走る国境の交通網を全面的に破壊した上、平野部を放棄してアルプス山脈に要塞を築いて徹底抗戦する計画を立案した。最高43万人の民兵が動員されて、スイス国内は“ハリネズミ”と評されるほどの一大防衛体制が取られた。・・・スイスの国境は全てドイツ側陣営と接することになった。しかも、多数派であるドイツ系住民の中にはドイツ側への参戦を求める声が高まり、中立政策は動揺を来たした。1940年7月25日、ギザンは主だった軍の幹部・将校を建国伝説ゆかりの地であるリュトリに集めて演説を行い、スイスの自由と独立を守ってきた先人の精神を引き継いで、あくまでも国を守ってゆくことを誓った(リュトリ演説)。・・・ギザンの徹底的な防衛戦略と国民からの支持を背景に、彼の“武装中立”路線の根本は揺らぐことはなかった。・・・やがて、ドイツが降伏した後の1945年6月4日、ギザンはその職務を終え、静かに引退生活・・・]

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[リュトリ演説]→[スイス発祥の地]→ウィリアム・テル伝説/リュトリ→ギザンのリュトリ演説

必見・必聴[スイス人の巡礼地といえる、湖に面したリュトリの丘

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オーストリアの PRINZ EUGEN  オイゲン公のように、本来船はドイツ語では女性名詞相当だが、男性名が使われている。

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